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清河八郎記念館・清河神社


清河八郎は・・・

1830年(天保元年)田川郡清川村に生まれる

父・斉藤治兵衛、母・亀代の長男-名前は元司(もとじ)

清川村は最上川の舟着場として栄え、斉藤家は造り酒屋幼い頃から頭がよく「論語」や「詩経」などを

学んだ

斉藤家の客人として滞在した藤本鉄石の影響を受け、18歳で家出をして江戸に上り、儒学者として

名高い東条一門の塾に入門。

名前を「清河八郎正明」と改めた

1851年、北辰一刀流、千葉道場に入門・・・北辰一刀流兵法免許を受ける

1854年には25歳の若さで「経学文章指南所」を開塾

京都、四国等を旅し、旅日記等著書を多く残す・・・西遊草八冊

黒船の来襲により、世の中は変動のさなかにあった

1860年、八郎は尊皇攘夷の急進派とともに「虎尾の会」を結成するも、翌年幕府より追われて各地を

潜伏。以後は、全国で志をおなじくする倒幕の志士を結びつけた。

1863年、「浪士組」を結成し京へ、江戸へ戻るが近藤勇ら一部浪士が残る

同年4月13日、幕府見廻組によって、江戸一の橋で暗殺される34歳・・・暗殺場所とメンバーが館内に

展示されている、残った浪士は新微組と改名し庄内藩に預けられた

近代日本の夜明けを見ることなくこの世を去った。

1867(:慶応3年)・・・大政奉還、王政復古の大号令

1868(明治元年)・・・戊辰戦争始まる・江戸を東京と改める

1968(明治2年)・・・函館五稜郭の戦い終わる(戊辰戦争終結)

清河八郎は東北の一僻地清川に生まれ、当時の雄藩の志士に互してして、

常にその主導的活躍をした明治維新の主役であった・・・記念館チラシより

記念館

http://homepage1.nifty.com/kiyokawa/Kiyokawa1.htm

清河八郎・・・年譜

http://homepage1.nifty.com/jshoda/tables/jinbutsu/kiyokawa.html

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場所は比較的判り易いところにあります。
ここだけの訪問だけでなく、羽黒山・鶴岡・酒田・松山町等の訪問と組み合わせて立ち寄ってみると良いのではないでしょうか

少し新庄よりに白糸の滝ドライブインがあり滝を見ながらの休憩、また最上川舟くだりが出来るのでそちらも楽しみです
戸沢の舟くだり番所から草薙温泉か、ドライブインから上って下って戻ることの出来る二箇所があります。
新緑のころから秋の紅葉、そして雪見の舟くだりもいいものです。
船頭さんの最上川舟くだりの英語バージョン
もお聞き逃しのないように(番所から出る船の船頭さんが歌ってますが必ずしも聞かれるとは限りませんので確認ください)

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清河八郎記念館・清河神社

清河八郎像
清河神社正面
扁額
清河八郎記念館・内部は撮影禁止
入り口・・・R47にも案内板があります
荘内戊辰の役清川口古戦場御殿林を背景に神社が建立された

直ぐ傍を流れる最上川
船くだりの船を見ることが出来ます